田本の歴史的町並み・家並の保存と活用をめざすまちづくりの会
たすきの会
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ちょっと一服のコーナー

  「たすきの会」のホームページを担当することになり、昨年(2015)7月頃から、発信を続けてきましたが、発信内容はすべて熱心な会員の調査報告や事業活動の情報です。 今年に入り、発信情報が増えるなか、息抜きの場が欲しくなり、「ちょっと一服のコーナー」を設けてみました.  このコーナーの文や画は何でもありで、当分、編集者の気儘にまかせてもらっていますので、 なかには、どうかと思われる内容の文も載せてしまうかもしれません。 そのうち、会員の方の投稿を得て、「サロン風のコーナー」になればと願っています。
 
犬の正しい生き方(その1) 犬の正しい生き方(その2) 鼻を歪めた犬
ねずみのおしっこ 金歯の舞い 言葉の斧
平賀源内の放屁論

竜ぼん

小銭の功罪

人間の体

人間の

 人間は原子の数10の28乗(一兆の一兆倍のその一万倍)でなっており、原子の98%が1年で置き換わる。
人間の体は細胞の数60兆個で構成されている。
細胞の大きさは200ミクロン立方から15000ミクロン立方くらいである。人の細胞には、受容体(情報の受け皿)が2000~5000個ある。
人間は外界と連続したつながりであり、絶えず更新、再生している。
人間は一日に、3.6㎏物質を摂りいれる。
人間は一日に、水2kgs、酸素1kgを摂り、水2kgs、二酸化炭素11kgを出す。
人間の中で1~2日かかり水や、大気成分が循環し人も自然の循環の中にある。
元素という視点で人間の体を見ると95%が、水素、炭素、窒素、酸素で、残り5%はカルシウム、リン、硫黄、カリウム、ナトリウム、塩素、マグネシウムと云ったミネラルと、極く微量0.02%の鉄、亜鉛、マンガン、鋼、セレン、ヨウ素、モリブデン、クロム、コバルトの9種の必須元素からなる。
染色体に組み込まれたDNAに32億個の塩基で、暗号の様に書きこまれている中の3~5%が遺伝子と見られている。この中に生命活動に必要な設計図がある。すべての塩基配列を読み取るのがヒトゲノム計画である。
遺伝子の組織(ゲノム)は、自分と他人と隔てている。
遺伝子は毎日数千億個、同一構成のものが分裂,新生する。遺伝子は毎日新生のとき3000個位、変異も出来る(癌細胞)。
脳は握りこぶし大で200億個の細胞でなる。脳の重さは体重の2.2%、人体の摂るエネルギーの20%を消費する。脳の消費するエネルギーの70%は神経細胞間の信号の伝達に消費している。
脳は3層からなる。
大脳の一番深い所にある古皮質は生殖、自己防衛のみをたずさわる。反射脳、大脳の二層目にある原始皮質は、感情の層、条件反射する。情動脳。大脳の一番上層にある新皮質は、情報の総合判断、予測、行動選択、理性脳、
脳細胞と脳細胞との間には、約10000種類の接続関係を持つ。脳細胞は、20歳を超えると毎日20万個ずつ死んでいく。脳細胞は再生しないが、構成する物質は入れ替わる。脳細胞の減少速度から、150歳まで全身の機能維持が可能である。
胃の中の粘膜は胃酸でいつも洗われ5日毎に新しい細胞に替わっている。
肝臓は1.5kgs、2500億個の細胞の総てが6週間毎に更新される。
腎臓は3分毎に体重と同じ重さの血液を濾過し、一日に1500kgsの血液を浄化する。
血管は、体の中に51億本あり、繋ぐと96000km、地球2周半になる
血液は、成人の体内に約5リットル(一升瓶3本分)ある。血液は、心臓をでて、戻るまで50秒位
小腸では食べ物が消化酵素で分解され、最終的に吸収される。小腸の絨毛一本に5000個の細胞があり、栄養を吸収して、血液に渡す。小腸の長さは3m位、絨毛と言う1ミリほどの突起が無数に出ている。
小腸の栄養吸収細胞数は1500億個。一つの細胞は2000本の微絨毛をもつ。小腸の細胞の微絨毛は直径1万分の1で、微絨毛の上に末端消化酵素が林立する。小腸の栄養吸収細胞は一日で死ぬ。末端消化酵素は蛋白分子を切り刻む。
細菌は歯についた食べ物1グラムに2億、胃の中で1ミリリットル中、1万から1億位いる。腸の中で100種類、100兆個住んでおり、大腸で1グラムあたり100億から、数千億いる。細菌は大きさは1ミクロン立方位。100兆個で10立方センチ、1kg位である。 細菌は有害物質を出すクロストリジュウムやそれを抑えるビフィズス菌などいる。
白血球は触手で異物を自らの細胞内に取り込み破壊する。1mlの血液中に6000~8000いて、3~5日生きる。老化した赤血球、破壊された組織を食べ、血液を綺麗にする。白血球はメラミンを食べて、髪を白くする。白血球の内、好中球、マクロファージは外敵を食べ、好酸球、好塩基球は異物と化学反応を起こす。白血球の一種、ナチュラルキラーは毎日発生する癌細胞を殺す。
赤血球の寿命は120日位である。赤血球は全身の細胞にエネルギー燃焼の為の酸素を運ぶ
赤血球は血液(体重の6~9%)1リットル中、450~500万個で、総数20兆個。赤血球は白血球より1000倍位多い。
精子は精液1リットル中、1億、自分の意志で卵子に向かい泳ぐ。(クロール? いや、犬掻きで?)精子はハーフセットであり、卵子とでワンセットとなる。
皮膚は1週間で作り変えられ、一ヶ月で全体が入れ替わる。皮膚は体重の18%。赤ちゃんは20%位で、触覚、痛覚、温覚、冷覚の4つの知覚をもつ。
皮膚は呼吸、発汗、分泌、排泄する。
皮膚は表皮と真皮からなり、表皮は死んだ角質層と増殖する粘液層からなる。

の功罪

 働いていた会社のすぐ近くにタバコ屋さんがあり、80歳を超えた小柄なおばあさんが店番をしていた。菓子パンや雑貨も置いており、時折店に入って買い物をしたが、驚いたことに、このおばあさん、つり銭を一度も間違ったことがなかった。大金を持たせると女性は金銭感覚がなくなるそうだが、小銭を勘定する女性は、年老いてもいつまでも頭脳明晰で見ていて尊敬の念さえ覚える。一般的に、女性が男性よりも長生きするのは、台所に立って包丁を振り回し、小銭を並べて勘定するからではないだろうか、生きることに毎日が真剣勝負。で、呆けてはおれないのだ。
 それに比し、男性は「お金と塵は溜まるほど汚い」といって、武士の心意気で、拝金主義者を軽蔑する風潮が昔からあったように思う。大宅壮一という人が昔「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」と言ってくれているが、しかし、世の男性の殆どは、内心、人より少しでも多くお金を持ちたいと思っているのが、実のところではないだろうか。お金は、生活を質的に高めるために必要であり、大きな夢、希望、願望を実現するには、やはり、あればあるほど助けになるだろう。最近では「金さえあれば、世の中できないことはない」と公言はばからない人がいるが、野望を遂げるためには、お金に物を言わせる人も沢山いるわけだ。ビジネスの世界では、「頭のいい奴は知恵を出せ、金のある奴は金を出せ、何も無い奴は汗を出せ、口だけ出すのはやめてけれ」と、お金を持つ人が自分より頭のいい奴を使って、更にお金をかき集めていく。しかし、この風潮が高じると、「金がもの言うときは、真理がだまる」という言葉通り、世の中、正道が行われなくなる心配がある。
 「いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難」と、日頃から浪費を慎むように教えを受け、まじめに、こつこつと働いてきた多くの一般男性にとっては、実のところ、小銭をためるのが精一杯であったろうと思われる。退職でもすれば、「お金を運ばなくなった亭主は蟻にも劣る」と見なされ、家の中で、かつての地位が強固であった人ほど、見事に崩落する。中には、わずかな小銭を懐に、「腹の底と財布の底は人に見せるな」の言葉通り、人に盗られはせぬかと疑い深くなり、また、「口と財布はしめるのが得」などと、お金のかかりそうなことには、口を出さなくなる老人が増えることになる。 
 年をとって、いじけたくないものだ。
 幸いかな、小銭をもたぬものよ、
 汝知る、無一物、無尽蔵

ぼん

 小学校の西側に、南北に国道が走っており、それを横切ると一面に田畑が広がっていた。畑の中の農道を歩いて行くと、大きな池があり、私たちは「用水池」と呼んでいた。池は淵から中心に向けて階段状に造られており、池の真ん中辺りの水面には、藻がいっぱい浮かんでいた。藻に足を取られ溺れた子供もいたので、親や学校からは、けっして池に近づいてはならないと厳しく、注意を受けていた。
それでも、夏の暑い日など、魚釣りや、泳ぎに来る子が大勢いて、池は格好の遊び場になっていた。私も泳げないのですが、親に内緒で、よくその池に遊びにでかけました。池の淵の第一段目の棚は、私の胸の辺りまでの深さになっており、杭を頼りに水中に潜ると、杭にへばりつい田螺や、小さな魚がいて、それを捕えてガラス瓶に入れるのでした。小指ほどの小さな魚は、その頃「ドンゴロス」と呼んでおりましたが、どうやら、それは「ヨシノボリ」だったと思われます。大きな眼をキョロキョロと動かし、危険が迫ると、ひょいっと飛ぶように逃げる小魚で、捕獲はなかなか大変でした。トンボ網の網目からすり抜けるので、私は両手で包むようにしてつかみ、瓶にいれて大事に持ち帰ったものです。ヨシノボリは、瓶の内側にへばりつき、白い腹を見せてじっとしており、餌のつもりで藻を瓶に入れたりしましたが、知らない振りをして、状況の変化を全く意に介しない様子でした。
ある日、そんな用水池に竜ぼんとでかけました。
竜ぼんは、私の家の近所の子で小学校の友達でした。当時は、比較的裕福な家庭に生まれた男の子を、「ボンボン」と呼んでいたようで、彼も名前の一字に「ぼん」がついてよばれて大事に育てられているようでした。瓜実顔で色白なのはいいのですが、唇が赤く腫れたように太いので、母親からいつまでも甘やかされ、乳離れが遅かったのではないかとひそかに思ったことがあります。
用水池のまわりは、褌をしめて水泳をやる子供達が太陽を浴びて休憩していました。私は池の淵から池の中を覗き込んでヨシノボリの所在を確かめる役をし、竜ぼんは池に入り、左手で淵の杭を頼りにしながら、右手で網を使い、杭の下の方から上の方に、ヨシノボリをすくい上げていました。ヨシノボリは網の目からすりぬけ、田螺だけが網に残りました。暫く失敗を繰り返していると、突然、竜ぼんが水没し、水面から彼の手がしきりに杭を探しました。池の淵にいる限りは、安全と踏んで居たのですが、私はびっくり仰天して、あわてて、彼の手を掴み、懸命に引っ張りました。一段目にもちょっとした窪みがあったのか、二段目の杭が腐っていたのか、その時の驚きが強烈だったのを今でも覚えています。彼も急に足場を無くしたので、必死でした。竜ぼんは両手でヨシノボリをつかまえようとしたものと思いますが、ヨシノボリどころではありません。自分が登るに必死で、彼は足をバタバタとしました。ヨシノボリも何事かと驚いて逃げたに違いありません。
幸いに池から這い上がることができた彼は急に無口になり、私たちはその日は、何の収獲もなく家路につきました。
親から絶対行くなと注意されていた用水池なので、約束通り、竜ぼんも誰にも言わず隠し遂せたと思いますが、私の親もとうにおりませんし、小学校時代の友人、K君から聞いたところでは、竜ぼんは、数年前に亡くなったとのことですので、ここに打ち明ける次第です。

犬のしい生き方 (その1)

 先日、興味ぶかい犬の話を聞いた。老犬の様子がおかしいので、飼い主が動物病院につれていったところ、「脳梗塞にかかっています」といわれた。
 医者の指示通り錠剤を10時間毎に与えていると犬は元気を取り戻したが、しばらくして、妙な行動を取り始めるようになった。ぐるぐると円を描き長時間歩き回ったり、斜めにひっくり返った状態で前進するようになった。やがて毎晩なにが悲しいのか、夜泣きをするようになり、昼は昼でなにが恥ずかしいのか車の下に入り込んだり、縁の下に潜り込んだりするようになった。一年半後には、通れそうもない隅や、狭いところに鼻を擦りあてて入り込もうとする行動が目立ち始めた。奇妙なことに、それが前進のみで後退しないので鼻は傷だらけになり血を滲ませるが、それでも前につき進もうとする。医者にこのことを伝えると、診断は「アルツハイマー」にかかっているとのことだった。
犬の世界にもアルツハイマー病のあることを初めて知った飼い主は、犬の扱いに困ったが、あることに気づいた。飼い主が首輪を手にすると、老犬がそれまでの妙な行動をやめて、飼い主のところに擦り寄ってくるのだ。アルツハイマーに罹っていても、本能の奥深くに、「犬は首輪に繋がれて生きる動物である」ということを覚えているのだ。
 犬の先祖をたどるとオオカミに行きつくが、元は、山の奥深くに住み、夜ともなれば、月に向かって吠えるので、人間からは山の大神と恐れられていたが、約1万5千年前頃から、人間に飼いならされ、家にいる狛ということで、「いぬ」と呼ばれるようになった。以来、犬の方では首輪を嵌めた人が、自分のご主人であり、忠公を尽くして生きるのが「犬の正しい生き方」であると深く脳に刻み込むようになったのである。
 とまれ、アルツハイマーに罹った老犬は結局16歳で亡くなった。人間の1年が、犬の6~7年に相当するそうだから、百歳前後の高齢に達していたようである。犬が病気になってから、飼い主は、頻繁に犬を散歩に連れだすようになったそうで、お蔭で私も健康をもらいましたと言っておられる。かの犬は、アルツハイマールではなく、アルキハイマール病に罹っていたと思っていますとも・・・。

犬の正しいき方 (その2)

 Aさんは、昔、柴犬を飼っていたそうです。若かったせいもあり、かなり乱暴に犬を扱いましたが、犬はいつも従順でした。昨今の着飾った犬とは異なり、昔は残飯でも文句ひとつ言わず食し11年生きたそうです。この犬はマッカーサー元帥が可愛がっていた茶色に黒の縞模様の柴犬とそっくりの毛並をもつ柴犬で、子犬の時、随分と利発でしたが、本来の役目、吠えることはせず誰かれなく尾を振る犬で、ストレスをためないたちの犬だったそうです。
さすがに晩年はかなり弱り、唯一の楽しみが朝の散歩でした。ところが、出かけるときは、Aさんの前を行くが、帰りは道路にへたり込んで、Aさんが前に出て、なだめすかしながら、なんとか連れ帰るような始末になりました。
その日も、だだをこねて動こうとしませんので、引きずるように散歩から連れて帰りましたが、食べない、飲まない、一切を受け付けない状態になったので、動物病院に駆け込むと、そこで、ワンパワーが尽きたように動かなくなりました。柴犬は、別れを告げるかのようにAさんをじっと見つめましたので、Aさんは犬の名を呼びましたが、犬はそのままあの世に走り去ってしまったそうです。Aさんはそっとまぶたを閉じてやり涙が止まらなかったといいます。飼い犬に「ロン」と名づけたマージャン好きの人に比べ、このAさんにとっては、柴犬との絆は、人との絆より強かったのかもしれません。
 概ね、人間にとっては、犬はペット、動くおもちゃなのでしょうが、犬の方では、人間に対し「常に忠実たるべし」ということが、犬死しない唯一「正しい生き方」で、このことがDNAにキッチリ組み込まれて、今日に至っているとおもわれます。

ヒステリック・フレッド

 若い夫婦がフレッドという名の犬を飼っておりました。結婚10年の記念旅行で、フレッドをホテルに預けて出かけたそうです。3日目に楽しい旅から戻り、犬を引き取りに行くと、犬は鼻の辺りを血だらけにし、足指の間も酷くこすった痕がありました。どうも主人に見捨てられたと思い込んだようで格子の間に鼻や足を突っ込んで、何度も脱出を試みた様です。家に連れ帰ると、何も埋めていない庭を、掘りまくったり、ネズミのようにドアなど、どこかしこと齧りまくるなど以前は見せなかったヒステリックな犬に変貌しておりました。散歩にでれば家を出た途端に、狂ったようにドンドン引っ張り、帰りも同様、怒ったように飼い主を振り向きもせず前を行きます。相当ストレスをためたものだと、飼い主はおおいに反省しました。以後、決して他人に預けるようなことはしなかったといいます。フレッドは、態度でもって、飼い主に怒りをぶっつけ、訴えたのでしょうか?

鼻をめた犬

 Y君は、昔、愛犬に行ったいたずらを、思い出すと、今でも慙愧に耐えないそうです。飼っていた犬を随分と可愛がっていたのですが、或時、ふと、いたずらを思いつき、自らのお尻を犬に嗅がせる姿勢をとり、愛犬が油断している折り合いを計って、いきなり愛犬の顔面に空砲をぶっ放したそうです。
 突然の爆音と異様な臭気の塊を顔面に受け愛犬は驚いて飛び跳ね、その場から逃げ去ったといいます。犬の身になってみると、全幅の信頼を寄せていた主人が、よもやこの様な虚にでるとは、思いもしないことで、予測しえないことであった筈です。それからの犬の挙動はなんとなくよそよそしく、首を傾げ、怪訝な顔つきをくずしませんでした。しっぽを振ってY君の周りを飛び跳ねてじゃれるようにはなりましたが、常に、一定の距離を確保し、逃げの態勢を崩さぬようになったそうです。
 犬はとても賢い動物ですので、信頼を失うような行為はとるべきではないとY君は、つくづく思い知ったといいます。

ねずのおしっこ

 父親が戦後間もなく、若くして亡くなりましたものですから、上から3人の姉妹とそれに続く兄と私の子供達5人は、母子家庭で育ちました。
 戦後の物の無い時代でしたが、どの家も同様な有様で、特にひもじい思いをした記憶はありません。僅かな物でも兄弟姉妹で分け合って食べておりました。冬は掘り炬燵に入り暖をとり、眠たくなれば炬燵の周りでごろりと横になりました。母親だけは、いつも編み物をしていたように思います。
ある日、三女の姉が、口を空けて、私の傍でぐっすり寝入ってしまいました。私は、いたずらを思いつき、ちゃぶだい(円い折りたたみ式足の飯台)から、きびしょ(急須)をとって、その空いている口に、お茶を流し込んでみました。すると、その姉が寝言を言いました。
 「あれ! ねずみが、おしっこをした」
 長女も次女も、おふくろも、声をころして笑いました。
姉は安心しきって寝ていましたから、脳への伝達物質も、すっかり油断しきっていたのでしょう。突然、ふってわいた仕事に感を狂わし、「鼠のおしっこ」として、慌てて脳の中枢に報告したらしく、脳も、おかしいとも思わず正直に反応したものと思われます。
 寝言に声をかけると、「脳が破壊される」とか、怖い夢を見ている人に、更に脅かすようなことをすると、「舌を噛む」と云いますから、今にして思えば、姉には大変悪いことをしたと思います。
余談ながら、この三女は、へんな特技がありました。実は耳掃除が得意なのです。本人もその特技を自慢にしている風で、私は、よく姉の膝に頭をのせて耳掃除をしてもらいました。
上手に数回、耳の中で、ポリポリ言わせると、大きな耳糞が回収され、それを、私の頬の上に乗せて一列に並べるのでした。視角の隅っこに、それが大きく映っておりました。
大きな耳糞を回収したときの姉の顔は、誇らしげで、私の耳たぶを更に引っ張り、耳の穴を覗き込んで、同様な大物がないかさがすのでした。顔を動かせない私にとってはちょっとした苦行ではありましたが、心地与三郎になっておりました。
時には、頬に並んだ耳糞の塊が、頬を転がって落ちることがあり、これには、こそばゆい感触で困りましたが、じっと身を固くして我慢しておりました。 
姉の耳掃除はとても気持ちのいいもので、ずいぶんと続きましたが、あるとき、姉がくしゃみした時を以って終わりました。くしゃみが、姉の指先を震わせ、指先にあった耳かぎが、耳糞をほじくらず、私の耳の穴をほじくったのです。
 この優しい姉が、晩年認知症にかかり、やがて寝たきりになって亡くなりました。 
子供の頃、姉の口に御茶を流すようないたずらをしなければ、脳も毀れずに済んだかもしれないと思うと、悪いいたずらをしたものだと、昔のことを思いだし、反省しております。

の舞い

 K君の事は、いま思い起こしても不思議な思いがします。
 彼とは特に親しくしていたわけではないのですが、小学校、中学校が一緒で、お互い家が比較的近かったこともあって親同士も挨拶を交わす間柄でした。そんな彼とも異なる高校へ進学してからは、何十年もの間、まったく会うことも無かったのです。それが、ある日、偶然にも電車の中で彼と出会いました。どのような会話をかわしたか覚えていないのですが、学生時代、小柄であったはずの彼は見上げるような大柄、端正であったはずの彼の顔は、円空佛のように粗削りで、大きな造りに変貌を遂げていました。驚いたのは声までもガラガラ声に変っており、学生時代のあのソフトな面影は、すっかりどこかに失せてしまっておりました。彼はすっかり頼りがいの良さそうな立派な大人になっていたのです。
 吊り輪を手に彼を見ると、丁度目の前に彼の口があり、笑顔で開いた口の中には、奥の方まで上下に金歯がずらりと並んでいました。私ならせいぜい保険の効くセメントか、シルバーの被せがやっとなのに・・・と思いながら、まるで獅子舞の「獅子の金歯」をみるような豪華さに圧倒されました。彼は相当金持ちであるに違いないとも想いました。辺りを気にしない彼の豪快な笑いのたびに、金歯が上下に飛び跳ねるようで、私は「金歯の舞い」に目を奪われて、強烈な印象を受けたのでした。
 二度目に彼と出会ったのは、近鉄M駅に近い踏み切りで、通過する電車を待っているときでした。一台の高級車がスーと遮断機の前に近寄り、運転席の窓が開いて、K君が私に挨拶をしたのです。K君の金歯は高級車とよくマッチしており、その時も彼の優雅な生活振りを窺うことができました。遮断機が揚がると、車はスーと前進し、私をおいて去っていきました。
 踏切での出会いから数年後、T産業に電話をしたおり、営業のH氏との話の中で、いがいにもK君がT産業の社員であることを知りました。その時はK君は不在とのことで話を交わすことはできませんでした。
 それから半年ほど経ってのことです。T産業に電話することがあり、私はH氏に聞きました。
「K君は元気にしておられますか?」
H氏の甲高い声が跳ね返ってきました。
「あれ? ご存知じゃなかったのですか? Kさんは亡くなられましたよ」
「え! 亡くなった? いつ?」
「もう、3ヶ月前に、日赤病院で…癌でした」
「・・・」
 私は驚きました。見事な金歯が、空中に舞いあがり、ばらばらに散ったような気がしました。しばらくは、彼がもう居ないということが信じられず。電車の中で乗っているのではないかと辺を見回したりしました。
 彼の亡くなったことを知ってから、数ヶ月後のことです。私は、私の母から奇妙な話を聞きました。K君のお母さんから、「かたがた私にお礼を言っておいて欲しい」と云われたと云うのです。 K君が日赤病院に入院しているとき、K君は彼の母親に私が見舞いに来てくれたと告げ、その時の様子を詳しく語り、そして、K君はかたがた私に礼を言っておいて欲しいと告げたというのです。
 T産業のH氏から聞いて初めて彼の亡くなったことや、日赤に入院していたことを知った私が、見舞いに出かけることはありえないので、本当に不思議なことに思われ、いまだに分からないままです。
彼は、寂しかったのでしょうか? 朦朧とした中で、私を他の人と間違えて、彼の母親に語ったのでしょうか?
 彼の見事な金歯については、ずっと後になって、「彼の奥さんは歯医者で、歯科を開業している」と人づてに聞いて、なる程と合点がいきました。

葉の斧

 「おぎゃー」と産声をあげた瞬間に、人の口の中には小さな突起ができる。そして成長と共に、突起は次第に大きくなり硬くなって、遂には斧になるのだ。

 この突起に特別な関心をもって調べた閑な人がいる。根元を辿ってみたところ、根は胃袋に隣接する堪忍袋に到達した。そして堪忍袋の中を覗いてみると二匹の虫「癇」と「癪」が納まっているのを発見した。 この発見で、赤ちゃんが泣き声をあげるときは、空腹を訴えているというこれまでの通説が正しいことがわかった。つまり、赤ちゃんが空腹になると胃袋は「早くミルクをくれ!」と隣接する堪忍袋を激しくノックする。堪忍袋の中では、まず、癪が癪にさわり、癇の虫が癇をたて、怒りを爆発させて、突起に繫がる根をおもいっきり引っ張る。その結果、口の中で突起はやたらと「斧」を振り回し、赤ちゃんを喚くように泣かせるという仕組みになっているのだ。大人でもやたらと腹を立てる人がいるが、食べ物を与えると大人しくなるのはこのせいである。

 実は癇も癪も、昔から立派な病気の一族なのである。癇は常に神経をピリピリと張り詰め、癪は鬱々とした気分を積みあげている状態で、疒(やまいだれへん)をつけて病気であることを示している。 おふさ観音の十一面観音は「積の観音」として有名だが、この観音さんは、やまいだれを外して下さり、長生きさせてくださる有り難い観音さんなので、昔から篤く人々の信仰を得てきているのである。
 癇と癪が手をつなぐと「癇癪玉」になる。日頃から我々は、堪忍袋を忍帯でもって硬く縛りつけているが、我慢しきれず癇癪玉に火をつけてしまうと、忽ち忍帯は立ち切れ、烈火の如き怒りは「あっ!」という間に、根を駆けのぼり、気が付けば、口の中の「斧」を振りかざして相手に立ち向かっているのだ。この時点で、脳がNO!と叫んでも「後の祭り」なのである。「火事場の火の用心」で間にあわないのだ。

 私は生来の癇癪持ちである。日頃はしっかりと腹の虫を抑えつけているので、大人しい人とみられているが、年に一度くらいはうっかり暴発させてしまう。気が付けば自分でも驚くほどに相手に罵声を浴びせてしまう。そんな時の「言葉の斧」は、気持ちがすっきり晴れるまで振り回される。
が、用を済ませて斧が舞い戻るとき、それはいつも敗残兵の様な帰着になる。癇も癪も一寸やりすぎたのではと思いながら、相手の傷の深さを気遣いながら、無言で、重苦しく、もと来た道を引き返すのだ。そして「もう二度と暴発させまい」と、堪忍袋の紐を自ら硬く縛って誓う。
「癇癪玉よ、願わくば、永遠に鎮まりたまへ」

賀源内の放屁論

 平賀源内先生の「放屁論」に「それ、屁は人中にてヒルものにあらず。 ヒルまじき座敷にて、もし過ちてとりはずせば、武士は腹を切るほど恥とす」とある。今日では場所を選ばず出るに任せる時代になって来たようだが、昔は人前で「ヒル」ことを大いに恥じたものなのである。

 先生によれば、「ヒル」という動詞は、「昼」を語源としている。昼間によく屁をひるからだとのことである。また、「ヒル」は、関東で用いられ、上方では「こく」、中国では「放屁」、そして、女中はすべて「おなら」と呼ぶそうである。ついでながら、先生はその音色を三等に分けておられる。一等は、
「ブッ」と、その形の、まろやかなのを上品とす。二等は、「ブウ」と、その形が、いびつなものを中品とす。三等は「スー」と、すかしたもので、その形、細長く平ためで、いちばん下品としておられる。 「おなら」は「空より出て、空に消ゆる」もので無益なものであるから、今日、これで稼いだという人を聞かないが、先生によると、「江戸は両国に、屁ひり男というのが現われ、はしご屁、じゅず屁は元より、祇園囃子、犬の遠吠え、鶏屁、両国花火、淀川の流れに擬した水車の音、伊勢音頭、義太夫、なんでもこいて大変な評判を呼んだ」そうである。「かくせちがらき世の中に人の銭をせしめんと千変万化、新たなる工夫をも加えけり・・・」、かくも器用なる男は、かつて日本のみならず、近隣諸国、遠くはオランダにもおらんだ」と、皆しきりに感心したという。 

師匠もなく、口伝もなく、もの言わない尻(しり)を自からの工夫ひとつで、間合いと呼吸を覚え、自由自在にヒリ分けるまでになったことを考えると、今日のパソコンなど、一心に努めれば、屁のかっぱじゃないかというのが先生の論である。また「へ」と云う字は、字体が、なんとなく「おかしげなり」とも述べておられる。屁理屈をこねておられるように思へるが、先生は屁とも思っておられない。
先生の真骨頂を示す、奇抜で、絶妙に思われる説を二つあげる
その一、
「ヤマトタケルノミコトの東征の時に、夷(えびす)ども草に火をかけ、大勢一度に尻をまくりて、ヒリければ、尊の方へ吹きなびき、御身に火掛からんとする時、御刀を抜いて投げつけ給へば、夷の尻べたをしたたかに切られ八方に逃がし故、逃ぐることを、辟易(へきえき)といい始め(へきえきとは屁消益で、尊のために益あるをいふなり)、十束(つか)の御剣を改め、臭薙ぎの宝剣と名付け給ふ、臭きものを薙ぎ散らせし言葉なり」云々。
その二、
平清盛が病気になり、風呂に水を入れて体を浸すと、水が即、湯になったので、「後に大きな池を堀り、加茂川の水を堰き入れ、はいられけるに、水火激して、しきりに屁をひりしにより、屁(へ)池(いけ)の大将と異名せられ、しるせし記録を屁(へ)池(いけ)物語(ものがたり)といふ、後世、平家と書くは、当て字なり」と論じておられる。 
ここまで屁気で言われると、先生の説も相当鼻つまみものではないか。

 屁 記 
 源内先生は、屁そのものを論ずることが本来の目的であったわけではない。 先生は「エレキテル発生機」を発明されたのだが、この素晴らしい研究成果は、当時の世間の人達には全く理解されなかった。エレキテル発生機は、屁ヒリ男の芸と同程度の慰みごとのように世間では受け止められのである。先生はおおいに不満に感じ鬱積したその不満を、世間に向けて放たれたのだと思う。 一時は、「エレキテル」を、「屁励起(ヘレキ)出(デル)」に名を変えることまで考えて、先生は世間からエレキテルに対し、「屁~」と驚きと関心を呼びたかったのではないだろうか。
 
 「仏法で言う五輪は、『地水火風空』のことなれど、風空を同根の気と観るならば、天地に満つるは『水火土気』の四大なり。人もまたこの四大を体内に備えし故、体中からでる四大は、日々食物糞と相成りて、五穀の肥(こやし)となりにける。故に体中から出るものは、土並びに、汗、小便として出る水、上にあっては呼吸と言い、下にあっては屁と名付く、これ体中の気いづるなり。 なかでも火は万物造化の座元、その本は太陽、その末を火と名付く。『日』と『火』は同根なり、天地自然にこの『日』無くば、土は皆本体の石、水は皆本体の氷となる故、草木を生ずることなく、魚、亀育つ道なし。 この道理を知るならば、糞となるも汗となるも、屁の出るも火の出るも、同じ体の小天地。 理に暗き輩(やから)は、火打ち石より出る火は、常なるが故に怪しまず、エレキテルより出る火は幻術の様に心得、カラクリと一つ事に覚え… 云々」とおっしゃっておられる。
 
 「道理の分からぬ人は、日の照るはあたりまえと考えているが、火ほどに尊いものはない。そのことを示し諭すために、エレキテル機器を私は工夫したのだ」と先生は強調されておられる。
 放屁論のおかしきところのを拾い上げると、それは、先生の意図するところではなく、先生に対し、いらざる誤解を呼ぶ恐れがあると思われますので、以上、屁記しておく次第です。